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「山本宣治をしのぶ五泉の集い」

 2017-5-14 掲載
 新潟県・五泉(ごせん)に山宣の旗たつ
  −没後88年、絶筆「唯生唯戦」墨書の地で記念集会(4/15)
「山本宣治をしのぶ五泉の集い」で講演する本庄豊氏
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 今から88年前の1929(昭和4)年2月27日、労農党代議士の山本宣治は、新潟県・中蒲原南部郷の農民組合に招かれ、磐越西線五泉駅に降り立ちました。官憲側は、演説会を開かせまいと、山宣を検束して妨害したため、怒った農民、市民数百人との小競り合いとなりました。

 やむなく、五泉駅前のかじや旅館に幹部だけが集まり懇談、山本宣治はその場で「唯生唯戦」(縦書き。ひたすら生き、ひたすら戦うの意)を墨書しました。
 その6日後の3月5日、帝国議会で治安維持法の死刑法への改悪反対演説を封じられ、その夜、内務官僚にそそのかされた右翼の暴漢・黒田保久二によって定宿の神保町・光榮館で刺殺されました。

 
 4月15日、そのゆかりの五泉市で「山本宣治をしのぶ五泉の集い」が開かれ県内から180人が集いました。治安維持法国賠同盟新潟県本部が主催し、県内民主諸団体と五泉市教育委員会などが後援。この集会を励ますために宇治山宣会から本庄豊氏、東京山宣会の藤田廣登副会長、長野山宣会の藤原超事務局長が駆けつけました。

 会場には、東京から持参した「唯生唯戦」(横書き・日本共産党中央委員会所蔵)と写真パネルも飾られました。挨拶に立った藤田副会長は、@山宣集会が五泉で初めて開かれたこと、A縦書きと横書きの「唯生唯戦」墨書の同時展示は初めて、B宇治、長野、東京の三大組織がそろって激励に駆けつけたことをあげ、この「三つの初めて」が実現したことを述べ、今後手をたづさえて山宣顕彰の運動を展開しましょうと呼びかけました。

 ついで本庄豊氏が「治安維持法に立ち向かった山本宣治―共謀罪を許さない」と題して講演。戦前、治安維持法が反戦・平和と民主主義を求め、政府に批判的な多くの人々を弾圧し、戦争に突き進んで行ったことをあげ、現国会で審議されている「共謀罪」と共通する問題点として「社会的運動と思想・内心の取締りの権限を官憲が握り、抑圧をほしいままにし、モノ言えぬ監視社会をつくり出していくことにつながる」危険性をズバリ指摘しました。

 集会では、この地が生んだプロレタリア詩人・長沢佑(たすく。1910-33年。度重なる逮捕、検束、拷問と貧困に耐えつつ活動)の生涯と作品の一節が朗読されました。




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